親のせい

私は自己肯定感が低い人間だ。

 

原因は親だと思っている。もういい年齢なのだからいつまでもチクチク親のせいにしているのもみっともないのだが、いくら親を正当化したとしても私の心から親のせいと思っている思いは消せないだろう。

私は親には大切にされているとは思っている。虐待された覚えはない。いくら叱られたとしてもしつけの範囲内のことだときちんと思っている。だけど、この自分の自信の無さは親の影響がまずあると思っている。

私は三人兄弟の末っ子で、まず存在自体がおまけだと思っているところがある。兄弟分け隔てなく育てられたとは思うが、姉と兄がいれば親はそれで良いんだといつの頃からか思うようになっていた。

親というか母親が難儀な性格をしていて私はとても母に似ている。人付き合いが苦手で気に入らないことがあるとすぐに不機嫌になる。普段の母はそれなりに優しかったが、不機嫌になった母は怖かった。

今でも覚えているのだが、保育園の頃ある日の夕方に耳が痛くなったので母にそう告げたら急いで車で耳鼻科に連れて行ってくれたが、受付時間を過ぎてしまっていてその日は受診することができなかった。母は「なんでもっと早く言わないんだ!」と声を荒げたのだ。別に我慢をしていたわけでもないし私もわざと耳が痛くなったわけではない。それなのに怒られた理不尽がいつまでも残っていた。「ちゃんと言ったのに怒られた」この経験が私の中でいつまでも尾を引くことになる。大人になって思えば夕飯の準備中に小さい子供3人つれて車で病院なんててんてこ舞いで大変だったのは想像できる。この前、このエピソードを母に語り「大変だったとは思うが、なんて理不尽だと思った」と言ってやった。母はどう思ったかはわからないが「覚えていない」と言っていた。

小さい頃からアニメや漫画や歌やドラマが好きで普通に「いいな~」とか「あーなりたいな~」なんで言っていると母はいつもこう言っていたのだ。「ああいうのは選ばれた人だけだから」と…。言いたいことは分かるが、私はこの言葉にいつも押しつぶされていた。もちろん自分が選ばれた人間だなんてこれっぽっちも思っていないし、何か優れている能力があるなんてことも思ってなかった。だけど、母は夢見ることすらくだらないと侮蔑しているように思えたのだ。子供の言う甘い妄想すら肯定してくれなかった。

褒められた記憶があまりない。多分、多少なりとも褒めてもらっていたのかもしれないが、自分に都合のいいように記憶とは改変されてしまうものだから記憶にあまりない。覚えている褒められたことといえば、鼻筋と眉毛だ。わたしの努力だったり意思は関係ない。そしてそれのどこが良いのか分からなかった。母は形がいいと機嫌よく褒めてくれたが私は「はぁ」と生返事をするしかなかった。

父も母も子供のために自分を変える人ではなかった。父も母も漫画やアニメやゲームが大好きなオタクに育った私達兄弟の趣味を全く理解しなかった。だから、お小遣いで漫画を買うといつもお小言ばかりだった。父も母も悪気があるわけじゃないし、本音を言ってくれているのだろうが、肯定してくれない親の意見なんて聞きたくないだけだ。親からお小言がありそうなことは言いたくなくていつもコソコソしていた。

自分の好きなことを否定されて全く傷つかない子供がいるだろうか。しかも受け止めてくれるはずの親に否定されるなんてツライだけだ。あ~書きながら涙出てきそうだ。

高校生の時に爪をキレイにしたいと自分なりにカットをしてみた。普段おしゃれに興味のない私の思春期だったのかもしれない。だが、それを見た母がやめなさいと言ったのだ。母に逆らうほど興味があったわけでもないし、口うるさく言われるのが面倒だったので爪を整えるのはやめてしまった。そのせいか今でも私の爪は野晒状態だ。

 

大なり小なりこんなことがいっぱいあって、私は親に個性を認められなかった否定ばかりされたと思い込む人間になってしまった。実際はこの文章から受け取るほどひどいことはなくて、それこそ世間一般的に楽しいことがあった家庭だと思う。だからいつまでも親のせいにしてウジウジしていたくはないが、吐き出さないと次に行けないので書いてみた。おそらくまだ親への恨み節は残っているだろうからまた書くかもしれない。